無くなりはしない「いじめ」だが…
人間というのは、聖人君子ではない、と思う。
生まれながらに、自己保身のために、様々な策を講じる。
「いじめ」はその一つなのかもしれない。
今、世間では「いじめ」についてハチの巣をつついたように騒がしい。
「いじめ」た側を罵ったり、関係者をとっちめ上げたりと、「いじめ」の再生産に忙しい。
中には、「いじめ」られているであろう子どもたちに、自らの体験を踏まえて知恵を授けようとする善良な人たちも少なくない。
現に「いじめ」られて苦しんでいる子どもの心に、善良な人々の知恵がどれほど響いているか、疑問ではある。
うつ病の人にガンバッテと励ましても効果がなく、逆に悪い影響を与えかねないように、善良な人の自己満足に終わるかもしれない。
では、どうすればいいのか。
より「いじめ」を少なくするために、親は赤ん坊に「いじめ」の姿を見せないようにしたい。夫婦仲が悪いとなかなか難しいだろうが、とにかく人間というのは親の背中を見て育つ。
保育園、幼稚園、学校のいわゆる《先生》たちは、ことあるごとに「いじめ」の小さな芽を見つけたら、摘むようにしたい。
それも《先生》の感性によっては見過ごされていくかもしれないが。
とにかく小さなころから「いじめ」は人間として卑怯な行為であることを知らしめ、絶対してはいけないこととして体にしみこませて学んでもらうしかないだろう。
社会も、「いじめ」の温床となる価値観をもう一度洗い直し、教育の根底から改革していく必要があるだろう。
つまらない学歴主義、学校歴主義、収入比較主義、地位比較主義などを廃し、多様な人間の価値を認め合う社会をつくるべきだろう。
それでも、「いじめ」は無くならないだろうが‥。