あふれかえる本の片づけ法

本の整理

本の片づけ方が非常に難しいと思うのだ。これまで何度もチャレンジしたが頓挫した。
一度本棚からすべての本を出す。この作業を省略してはいけないという。

本の分け方
・ 一般書籍(読み物、文学全集)
・ 実用書(数学、英語など)
・ 写真集、図録など
・ 雑誌

積み上げた本を一冊一冊、手に取って残すか捨てるか判断していく
判断の基準は「触ったときに、ときめくか、どうか」  

人生がときめく片づけの魔法を読む

モノを触った瞬間の「ときめき」で、残すか捨てるかの判断をする。

問題は、ときめかないけど捨てられない。

直感では「ときめかない」と答えが出ているのに、「でも、いつか使うかも」「だって、もったいないし」とグルグル考え、いつまでたってもモノを手放せない。「なぜ私はこれを持っているのだろう」「私が持つことになった意味は」など考えてみる。買う瞬間にときめいたから。なのに読まなかった、使わなかった、着なかったのは、なぜ?

まず「捨てる」。そして一気に短期に完璧に。

劇的に片づけると、考え方や生き方、人生までが劇的に変わるという。

自分の持ちモノに対して一つひとつ「ときめく」か、どう感じるか丁寧に向き合う作業はモノを通しての自分との対話。

選ぶ基準は「ときめき」=どれを捨てるかより、どれを残すかが大事。店の陳列台から大好きなものを選ぶ感覚で。一つひとつ手に取って、自分にそっと「ときめきますか」と聞く。

片づける順序は、①衣類②本類③書類④小物類⑤思い出の品

衣類の片づけ順のカテゴリーは、①トップス(シャツ・セーターなど)、②ボトムス(ズボン・パンツなど)、③かけモノ(ジャケット・スーツ・コートなど)、④靴下類、⑤下着類、⑥バッグ、⑦小物(マフラー・ベルト・帽子など)⑧イベントもの(浴衣・水着など)、⑨靴

早朝の時間帯から始める。

善意を装いながら自分の罪悪感を人に押し付けるのはNG。

役割を終わったモノには感謝して送り出す(捨てる)。

「障害者」考1

「障害者」という表現に、ず~っと疑問を抱いてきた。

「障害」という表現を、覚えたのは、小学校の運動会の時だった。「障害物競走」。

網をくぐったり、平均台の上を走り抜けたり、跳び箱を越えたりして走るのだ。

走るのに障害となるものが「障害物」だった。「障害物」のためにうまく走れない僕らを「障害者」とは呼ばなかった。当たり前だ。

だから「障害者」という表現を初めて聞いたとき、誰かが何かをしようとするとき「障害になるもの」と思った。たとえば学校へ行く途中、「通せん坊」をするようなヤツのことだ。

ところが「障害者」というのは、そういうヤツのことではなかった。

何かしようとするとき、うまくできない人のことを「障害者」というのだと教えられた。

じゃ、通せん坊するヤツは何ていうのだ。

通せん坊するヤツは、通ろうとする僕らにとっては「障害物」であり、まさに「障害者」なのに。

「障害者」って何てあいまいな言葉なんだ。

そもそも、何かをするときに、うまくできない人を「障害者」と言い始めたのはどこの誰だ。まともな言葉遣いもできない人間が使い始めて、それが当たり前のように使われることに、少なからず憤りさえ覚える。

みんな一緒に「真・利・尾」だぜい

朝日新聞夕刊素粒子(2016.8.24)

そういうことか。任天堂マリナーズの所有権を売ってキャラクターの新事業に投資へ。安倍マリオが相乗効果。

加えて言えば、朝日新聞NHKなどメディアが太鼓持ちして、「相乗効果」の二乗に。

むのさん逝去の朝日新聞社説の愚かしさ

「むのさん逝く」たいまつの火は消えず・・・を書いた朝日新聞社説記者には正直、唖然とした。

見出しで、たいまつの火は消えずというから、貴社自らがむのさんの志をついで行くのかと思えば、そうではない。

むのさんが死にましたよ。戦時中、朝日新聞社の記者をしていたが、戦争中、真実を伝えることができなかったと敗戦の日に新聞社を去りました・・・などと紹介し、権力の過ちを見逃さない眼と、抑圧されるものの声を聞き逃さない耳を持ち、時代の空気に抗して声を上げ続けねばならない・・・と書くのだが、それはあくまでも、むのさんの姿勢の紹介なのだ。

社説記者の覚悟でもなんでもない。ある意味卑怯である。あんたは権力に対して、どのように立ち向かうのか。自己規制で筆を曲げていくような、その他大勢の記者に過ぎないのか。自らの姿勢を明確にしたらどうなんだ。

悔しかったらもっと泣け Y選手よ

Rio五輪、女子レスリングで四連覇を狙ったY選手が金メダルを逸した。泣き崩れるY選手。Y選手自身金メダルを取るものと確信していた。周りも四連覇を疑っていなかった。

女子レスリングが五輪種目から外れるような話が持ち上がりY選手は五輪種目に認められるよう先頭に立って関係機関へ働きかけた。

五輪種目から外れれば四連覇は霧散、夢のまた夢となる。

決勝で敗れ、銀メダルが決定したとき、地元の人たちは、残念な気持ちを押し隠し、「よくやった、ありがとう」とY選手の健闘を讃えた。しかしそれは、どこか偽善臭い響きがあった。

私は敢えて言いたい。悔しいのは当たり前だ、泣け、もっと泣け。落ち込むところまで落ち込めばよい。

一流には一流の、三流には三流の苦しみがある。苦しみ自体にそれほどの違いはないし、誰しももう一度立ち上がってチャレンジする姿は感動を呼ぶだろう。Y選手、あなたは、きっと立ち上がってくると信じたい。

http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20160820000394.html

本気でそんなことやるか?猟奇小説でもあるまいに

何とも、酷い事件が起こった。

2016年7月26日午前2時ごろ、26歳の男が、居住者が寝静まった施設へナイフを持って侵入、無抵抗の「障害者」を次々に襲った。首部を主に狙い、19人を刺し殺し、26人に切り傷を負わせたのであった。

男は、今年の2月まで、この施設に勤めていたという。2012年12月に同施設に採用され、2013年4月には常勤職員として働き始めたというから、3年ほど勤めていたことになる。

なぜ男は「障害者」施設を襲ったのか。わからない。

いわゆる健常者と呼ばれる一般の人は「男は精神障害者である」とレッテルを貼って、自分たちとは違う人種だと思いたいだろう。しかし、男は薬物による「精神異常者」であったかもしれないが、「精神障害者」とは言えない。

男は大学を卒業し、教師の道を進もうとしたが、教師には採用されなかった。でも、そのような若者はいくらでもいる。志望が叶わなかったから殺人を犯したわけではあるまい。

わからないなりに想像すれば、薬物利用によって精神が蝕まれた、と言えようか。今年2月に、衆院議長公邸に土下座をして「障害者の安楽死を進める法案可決」の駆け込み訴えをしたという。この考え、行為のおぞましさは常軌を逸しているとしか言えない。

健常者である警官が飲酒運転をして事故を起こすということがある。アルコールによる精神異常である。また、さみしさや苦しさを紛らわすために覚せい剤を使用して、普通では考えられない事件を起こすこともある。薬物によって、精神がコントロールできなくなるのである。

ただ、精神が蝕まれたからといって、障害者を襲うという行為に出るというのは、日頃から男自身の考え方に「障害者蔑視」の種があったからとも言えるかもしれない。

教育者になりたいという男が「障害者蔑視」というのは、ブラックな話でもある。

それが現実に起こったということ。私たちの社会の病巣が知らず知らずに深く大きくなってきているのかもしれない。ガンのように。ヘイトスピーチ、トランプ現象、テロ、安倍無能施策による日本社会の数々の歪み。世界中が脆弱な社会構造になってきているのである。